日本のジャーナリズムを問う “記者クラブ制度”の弊害

質問日本新聞界 「記者俱樂部制度」之弊

 

 

メディア報道の在り方が昨今日本でも話題になっている。日本の報道の自由度が批判されることについて、しかしながら今更驚く事でもない気がするのは私だけだろうか。日本には記者クラブという制度があるが、その制度によって記者クラブに所属する記者のみが特権的な地位と情報へのアクセスを謳歌してきたのは事実である。しかし日本特有とも言われる記者クラブという制度がどのようなものであるのか詳細に説明しているものは少ない。



媒體報導應有之樣貌,近來在日本成為話題;關於日本新聞自由度被批評一事,大概只有筆者注意到一個不足為奇的現象。日本有所謂記者俱樂部制度,根據此制度,僅有隸屬記者俱樂部的記者,可獲得特權般的地位與資訊接觸之管道,因而此制度被稱頌亦屬事實;然而,鮮少有針對日本獨有記者俱樂部制度的詳細說明。



英国オックスフォード大学セント・アントニーズ・カレッジの言論の自由プログラムからの依頼で某キー局、大手新聞記者に取材させていただいたのは昨年暮れのことだ。記者クラブといっても各省、各地方自治体がそれぞれ記者クラブをもっているため、一般化するのは困難である。取材させていただいた方々は年齢性別も違うが、インタビューから記者クラブにはいくつかの共通した特徴があることがうかがえる。



去年底,筆者接受英國牛津大學聖安東尼學院言論自由計畫的委託,採訪位於東京某電視台的資深新聞記者,各省、各地方自治團體皆擁有各式各樣的記者俱樂部,因此很難將之一般化。受訪者的年齡性別不盡相同,從訪談內容中可觀察到記者俱樂部具有下述幾項共通特徵。



まず、記者クラブに所属するには大手新聞社かキー局に所属していることが条件となる。言い換えれば雑誌記者やフリーランス、外国人記者は基本的に記者クラブに所属できない。つまり制度的に一部の記者を優遇した制度として存在してきたことになる。一般的に一つの記者クラブに所属するのは二年間程度で、一つの記者クラブに三年以上いることはほとんどない。これも取材源と安定した関係を築く一方で、一定の距離を保つためだと言う。



首先,加入記者俱樂部的先決條件,必須是主流報社或者東京之電視台的記者;換言之,雜誌記者、自由記者或者外國記者基本上無法加入。亦即,該制度是優待部分記者的制度,一般而言,記者屬於某記者俱樂部的時間大約是兩年左右,很少有超過三年以上,此設計一方面是為了與採訪對象建立安定的關係,同時也保持一定的距離。



二つ目は所謂夜討ち朝駆けという取材方法。つまり記者クラブの取材記者は関係当局の取材源の家の前で、朝晩情報を求めて待機するというものだ。もちろんこうした取材方法は読者の方々もドラマなどのワンシーン等でご存知かと思う。元某キー局のジャーナリストで経済産業省の記者クラブに所属していた記者は、記者クラブ時代にはほとんど毎晩取材源の官舎を訪れていたという。



再者,即所謂「在清早或半夜的突擊式拜訪」的採訪方式,指的是記者到有關當局或消息來源家門口,等待取得資訊的時機;當然,讀者在電影場景中應該也看過此種採訪方式。前東京某電視台一位記者,同時也是日本經濟產業省記者俱樂部的一員,回憶起當時在記者俱樂部時期,他幾乎是每天晚上都到官員宿舍拜訪。


三つ目は記者クラブの制裁機能である。例えば東京警察庁の記者クラブに所属した経験のある某記者は、ある殺人犯の容貌を撮影したビデオを関係当局者の反対を押切りリークしたところ、一ヶ月の定例会議の出席を禁じられた。これは所謂出禁というルールで、関係当局の記者クラブに所属し、そこでの情報を主な情報源としている記者にとってはダメージとなる。というのも記者が所属するキー局や新聞社にとっては、他社が得ている情報を自社だけ報道しないという事態こそ一番避けたい事だからだ。



第三,關於記者俱樂部的制裁機能。例如,根據某位屬於東京警察廳記者俱樂部的記者所言,因為有關當局的反對,他被迫將拍到的殺人犯臉部影像洩漏出去,之後被禁止出席一個月的定期會議。定期會議是隸屬記者俱樂部的記者最主要的資訊來源,對記者而言,此禁令是種傷害,因為對於該記者所屬的電視台或者報社來說,最重要的就是要避免新聞獨漏。



この関係当局者からの圧力と自社からのプレッシャーという二重苦は、談合という四つ目の暗黙のルールを作り出している。つまり自分だけ最新の情報から漏れるという最悪の状況を避けるため、夜情報元の家を訪問した後、記者同士でミーティングし、どのようなニュアンスで情報を掲載するのかを話し合う。言い換えれば腹の探り合いである。こうした暗黙の了解こそ、近年新聞各社の論点の相違が見えにくくなっている根源ではないか。



這種來自相關人士與報社自身施壓的雙重苦楚,發展出第四個潛規則-記者為了避免獨漏最新資訊的最糟糕情況-夜晚至消息來源家裡採訪後,與記者同儕一起開會討論,要如何以些許不同的方式刊登採訪內容,換言之就是打心理戰。正因為此種默契,才會造成近年來各報社的論點大致相同的現象。



2009年以降こうした記者クラブ制度はある程度オープン化され、記者会見はフリーランス、外国人記者にも参加が許されるようになった。こうしたオープン化は政治家など主な情報源にどのような影響を与えているのだろうか。例えば2015年9月24日、国連総会でのスピーチで未曾有の難民問題解決に向けて、安倍首相は約8億1千万ドルの経済支援を実施する方針を表明した 。しかし演説直後、難民受け入れを巡る日本政府の対応に関する外国人記者からの質問に、難民問題を解決する前に女性と高齢者の労働力活用などを通して先に国内問題 を解決する必要がある、と日本国内では全く難民に対応する意思がない旨を明かしている。



2009年後,記者俱樂部制度某種程度上開始開放,允許自由記者與外國記者也可以參加記者會。開放之後對於政治家等主要消息來源而言,會造成什麼影響?例如2015年9月24日,日本首相安倍於聯合國大會中,針對如何解決前所未有的難民問題,表示將會實施約8億1千萬美元的經濟支援措施;然而在演說發表後,外國記者詢問安倍關於日本政府將如何應對接收難民的議題,他表示在解決難民問題前,必須先解決如何活用女性與高齡者勞動力等國內問題,明示日本國內並無接收難民之意。



こうした点を鑑みると、フリーランサーや外国人記者の日本の報道のあり方に対する批判は、今後記者クラブによる情報の要塞化と権力者の保護にチャレンジする上で重要な役割を果たすのではないか。例えばフリーランサーであり、国境なき記者団による世界の記者100名に選出された寺澤有は、司法記者クラブが判決文をクラブメンバーにしか配布しないという点について、ジャーナリスト間における言論の自由の不平等だとし、2005年訴訟を起こした。



由此可見,自由記者與外國記者針對日本新聞應有的報導方式之批判,今後,將在對記者俱樂部的資訊壁壘與保護權力者之挑戰上,扮演重要的角色。例如2005年,名列無國界記者組織之「世界100位新聞自由英雄」的日本自由記者寺澤有,對於法院判決書只發布給隸屬司法記者俱樂部會員一事,以記者間的言論自由不平等為由,提起訴訟。



ニューヨークタイムズ記者マーティン・ファクラーは2011年の福島第一原発の爆発後、現地記者クラブの記者が一斉に非難し、尚且つ政府と東京電力が緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムの存在を公表しなかったことについて痛烈に批判している。しかしながらこうしたフリーランサーや外国人記者らによるジャーナリズム批判は、もちろん日本の主要メディアで報道されることはほとんどない。



2011年福島第一核電廠爆炸之後,紐約時報記者Martin Fackler與隸屬當地記者俱樂部的記者們一起發出批評,並嚴正批判日本政府與東京電力公司未公開發表擁有「緊急時迅速放射能影響預測系統」(SPEEDI)一事;然而,這種來自於自由記者或外國記者對日本新聞學的批評,當然幾乎不曾出現在日本主流報導中。



日本のジャーナリズムについては、今年3月の田原総一郎氏や岸井成格氏等による報道の自由を巡る外国人記者クラブでの記者会見、4月の国連特別報告者デイビッド・ケイによる日本の言論の「不自由」に関する批判など相次いで疑念が噴出している。5月のJapan In-depthの記事では、たった1週間の国連報告者の滞在で、日本の報道の在り方を安易に批判することはできない旨の記事が掲載されていた。ごもっともである。しかしこうした日本のジャーナリズムに関する疑念は、記者クラブに所属する記者自身にも広がっているのもまた事実である。



從今(2016)年3月由田原總一郎、岸井成格等人召開之「關於外國記者俱樂部之新聞自由」記者會、4月聯合國言論自由特別報告員凱伊(David Kaye),批評日本言論「不自由」之現象等觀之,關於日本新聞學的質疑一一出現,5月Japan In-depth的報導指出,特別報告員凱伊僅在日本停留短短一星期,並不能輕易地批判日本新聞報導方式。確實如此,然而,隸屬記者俱樂部的記者自身當中也廣泛存在著對日本新聞學的質疑,這亦為事實。



現にインタビューに答えていただいた方々は、記者クラブ所属という経験を持ちながらもこの制度自体に疑問を抱いていた。憲法で保障されている言論の自由とは何なのか、NHKの経営委員が衆参両議院の承認を経て総理大臣によって任命されるということが言論の自由にどのように影響するのか、今日本のジャーナリズムを形成している構造自体の見直しが問われているのではないか。



目前接受訪談的受訪者,都是隸屬於記者俱樂部並且對此制度抱持疑問的人,究竟憲法所保障的言論自由為何?NHK經營委員必須經過眾參議院同意後,經總理大臣任命,此事對於言論自由會造成什麼影響?應該要重新檢討形塑現今日本新聞學之結構本身,才能獲得答案。



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作者:久峨喜美子


編譯:蔡昕宸


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